プライバシーとは何か

プライバシーが必要なのは、隠すものがある場合だけ?

こういう話題では、Nothing to hide議論 というものがある。隠すものがないのだったら、プライバシーなんていらないだろうとか、組織的な監視システムを気にする必要なんてない、というような内容だ。コントロールを維持・強化したい立場であれば、必然的にそうした主張を推し進めるだろう。そうした立場を持たないならば、最終的には人によりけりかなとは思う。ただ、テクノロジーに関連する(デジタル)プライバシーというのは、多少なりとも知識がないとプライバシーが侵されているという実感は持てないだろう。つまり、大抵はいつの間にか侵されているものということだ。

プライバシーは、自然な感覚である

冬に羽織るブランケット

プライバシーと聞いて思い浮かぶのは、Mission: Impossible (1996)のMaxという武器商人の言葉だ。

I don’t have to tell you what a comfort anonymity can be in my profession – like a warm blanket.

冬の寒い時期に羽織るブランケット。なくても過ごせるかも知れないが、あった方が安心だし、快適だろう?1

日常生活の一部

横断歩道を渡るときに、安全のため信号を確認することは普通だ。青だからすぐ行こうという人もいるだろうし、さらに左右を確認してから渡る人もいるだろう。それぐらい自然な反応だと思う。Nothing to hideの人も、服を着るだろうし、家に鍵をかけるだろうし、自分の考えを何でもかんでも発しているわけではないだろう。プライバシーもそれと同じくらいの感覚だ。

プライバシーとは

自分のコントロールが及ぶ範囲を私的空間、コントロールが及ばない範囲を公的空間とする。前者の管理者は一人称や二人称、つまりIやWe。後者の管理者は、三人称、つまりThey(She、He)で自分にはコントロール権限がない。私的空間と公的空間を意図したとおりに棲み分けできている時、プライバシーは守られていると言える。一方で、意図せず情報が公的空間に流出した場合、プライバシーが侵されているとなる2

公的空間から私的空間への一方向の時代から、ネットが普及したことで双方向に簡単にアクセスできるようになった。さらに時代は進み、スマホの登場により、ネット環境を簡単に持ち歩けるようになった。つまり、スマホが私的空間と公的空間の媒介者となり、私的空間と公的空間が「いつでもどこでも」「簡単」に入り交じり、結果、棲み分けが難しくなっていると思う。言い換えると、簡単にプライバシーは侵され得る環境だと言える。というのは、私的空間だと思っていたものが、いつの間にか公的空間と繋がっているということがテクノロジーでは起こり得るからだ。

プライバシーとテクノロジー(デジタル)

数字の意味

数字とはもともと、管理するために生み出されたものだと思っている。時間やお金も数字だ。正の側面が最初の動機だとしても、副次的な負の側面は生じる。大抵は管理する側は正の側面を享受し、管理される側は負の側面を被る3。 コンピュータはデジタルであり、つまり数字化していることになる。例えば、家計簿はデジタル化した方が、計算も把握も簡単にでき便利だろう? 今は便利を合言葉にデジタル化が進められているが、自分たちがマスター管理者出ない限り、結果的に、利用され管理されるているのが落ちとなる。管理とは把握することであるため、プライバシー上の懸念が生じる。

デジタル化により活力を奪う

度々指摘されることではあるが、ありとあらゆる方法で、スマホ等から、合法的に、情報・データが取られている。それらのデータは、私達の一部であるということを意識しなければいけない。過去、現在を収集し、パターン化し分析することで、未来までのデータを集めることができる。さらには、私達が受け取れる情報を操作することで、私達自身も操作され得る。SNSや検索エンジンのセンサーシップは有名だ。要するに、彼ら(企業とか)が集め、収集しているのは、単なるデータではなく、私達自身であるということだ。彼らが操作しているのは情報ではなく、私達自身であるということだ。過去、現在、未来、私達自身(アイデンティティ)。そして最終的には、私達の自由や活力を奪っていることになる。

プライバシーを重視することは、全体の貢献に繋がる

大勢がNothing to hideだとしても、プライバシーを重視することは、全体の貢献に繋がる。他人事ではない。隠すものがなければ、surveillanceは気にする必要はないという考えは、ある意味では、独りよがりな考えである。

自動運転が保険会社と情報共有される。ナビに出た給油指示に従わないと、ロードサービスを受けられませんとなるかも知れない。自分に決定権がないような状況も起こり得る。また、誤判断だったとしても、商品を高く売られたり、または売ってくれなくなるかもしれない(保険とか)。逆に、本当はいらない商品を勧めて来るかも知れない。気づかないうちに、私達の嗜好性や行動はコントロールされうる。

国や政治体制でも大きく変わるかも知れないが、この世界には世界や全体の利益のために重要な情報を明らかにする人たちがいる。例えば、政治の腐敗を明らかにしようとするジャーナリストやその情報源、内部告発者だ。そうした人たちがいない場合、世界はどんどんおかしな方向に進んでいくのかも知れない。公正に見せかけた不正。歪曲された真実。隠すものがないと主張する人もその報いを受けている、もしくは受けることになるだろう?より良い世界のために事実を明らかにしようとする行動の代償が、人の命であってはならないと思う。自分がsurveillance影響を受けていることに気が付かないだけで、プライバシーやセキュリティに対する考え自体を否定してはいけない。ジャーナリスト以外にも、医者や弁護士も秘密を守るべき立場にあるが、プライバシーを軽視していては、秘密を守りたくても守れない状況になりうる。

デジタル化・テクノロジー化・オンライン化を推し進めるだけではなく、その背後について回る負の側面についても、目を向ける必要がある。プライバシーは私達(政府に対する国民、企業に対するユーザー)の防衛線であり、パワーの源になる45。プライバシーを重視するという雰囲気・士気を高めるだけでも、全体の貢献に繋がるはずだ。


  1. blanketはcloak的な意味合いもあるかな。 ↩︎

  2. 近接概念に、セキュリティがあるが、セキュリティはバイナリーである一方、プライバシーにはグラデーションがあると思う。例えば、セキュリティは「どう守るか(how)」という技術的な領域であるが、プライバシーは「何を守るか(what)」という政治的な部分まで含む。政治的であるがゆえに、ユーザーと企業・政府等の組織との立場の違いによる議論が巻き起こる。言うなれば、ユーザーの情報をユーザーは守りたいが、企業・政府はユーザーの情報を目的のために利用したいとか。 ↩︎

  3. 問題は自分達は管理者なのか、管理される側なのかだが、管理する側であってもヒエラルキーの性質上、大抵更に上に管理者がいるだろう。マスター管理者にはなれない。そもそも、人に対してやたらと数字を当てはめるべきではないと思う。数字はものに対して当てはめるべきだ(測量、建築、物理とか)。 ↩︎

  4. 不正の源にもなるというような視点も、政府側からはあるだろう。ただ、そうした議論は、デジタル化推進と同じ熱量・決定権を与えてなされているのかな? ところで、ここでのポイントとしては、政治的にどうするべきとかではなく、ユーザー側のプライバシーへの気運を高めたいという点にある。そうすることで、デジタル化によって起こる負の側面等にも目を向けられるようになる。問題は、知らず知らずのうちにリスクを受け入れていたということがないようにしたいということだ。 ↩︎

  5. なぜプライバシーがパワーの源泉になるかは、アナロジーを用いて説明してみる。風船が形を保つには、圧力(内部と外部)が必要だ。そのためには、風船の膜(境界)が機能していることが前提にあるが、膜に針を刺すことでその機能は失われ、圧力は逃げ、風船は形を保てなくなる。この場合、風船は私達のアイデンティティであり、圧力は私達のパワーやエネルギーである。その前提となる風船の境界(膜)は、私的空間と公的空間の区分するプライバシーを指す。プライバシーが侵されることで、私達のパワーは逃げていき、私達のアイデンティティは失われる。私達が私達ではなくなり、全体に均質化される。別のアナロジーとしては、「密教がなぜ力を持つか」でも説明できるかもしれない。 ↩︎